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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第1章 柳家の娘

 春泉が見たところ、その蝶のノリゲはけして高価そうでもなく、玉(ぎよく)も作りも二流どころか三流品のように見え、いかにもこのような下町の露店で商われるにふさわしいように思える。
 それでも、拙い作りの中にも、そのノリゲを作った職人の誠実さが何とはなしに伝わってくるような気がする品ではあった。稚拙な作りだからといって、その品を作った者の心が込められていないとはいえない。
 春泉は左の袖に右手を差し入れ、小さな水色の巾着を取り出した。
「お嬢さん、流石は眼が高いね」
 先刻からノリゲを熱心に眺めている春泉に向かい、店の主人が気軽に声をかけてくる。
 四十前後の小柄な男で、きちんと洗濯されてはいるが、けして上物とはいえないパジチョゴリを纏っていた。
「このノリゲを作ったのは無名だが、結構腕の良い男でねえ。偏屈で人付き合いが悪いから、一向に無名のままだが、本人がその気になって、もっと作品を売る気になりゃア、漢陽一の職人と呼ばれるようになるよ」
 春泉がやや呆れ顔で見ているのに気づきもせず、男は滔々と喋り続ける。
 小間物を売る柳千福の娘であれば、春泉にもある程度の品物の見聞きはできる。それは教えられたわけではなく、多くの宝飾品が売買されるのを傍で見ている中に、自ずと身に備わった勘のようなものであった。
 恐らく店の主人は春泉がこういったことに何の知識もない世間知らずの小娘だと高を括っているのだろう。
 男が提示したノリゲの値段は、あまりにも法外であった。都でも一、二とその豊かさを謳われる柳家の令嬢であれば、普段の小遣いも若い娘には分相応なほど与えられている。
 春(チユン)泉(セム)のこれまで思いどおりにならなかったことはない。物であれ何であれ、望めば必ず手に入った。殊に千福(チヨンボク)はこの一人娘を溺愛している。仮に春泉が欲しいといえば、夜空にかかる月ですら手に入れようとするだろう。
 金には不自由したこのない春泉であってみれば、少々の上乗せなら見て見ないふりをしてやっても良いと考えていたのだが、これは幾ら何でも吹っかけすぎだ。
 春泉の父千福も儲けのためなら手段を選ばない強引さはあるが、千福ほどの凄腕の商人になると、いかにも本物そうな偽物に法外な値を付けることはあっても、最初からいかにも安っぽい品を必要以上に高く売りつけるような真似は絶対にしない。

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