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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第11章 男装女子

 もし、秀龍が救いの手を差しのべなかったら、十二歳の子どもは生きてゆく手立てもなく、死んでいただろう。秀龍は間違いなく、英真にとっては生命の恩人だった。
 いや、秀龍は英真だけでなく、他のみなし児たちにまで手を差しのべ、〝家〟を作り、いまだに他人のために奔走し続けている。
 そう、彼を初めとして、孤児たちには、〝家〟は真実、我が家であり、帰ることのできる唯一の場所であった。〝家〟は彼等にとっては単に住む場所だけではなく、生きてゆく心の拠り所でもあったのだ。
 それでも、世間の風は子どもには冷たかった。まだ八百屋の雑用をしていた頃、その日の売り上げが合わない、ただそれだけの理由で主人から盗みの疑いをかけられたことがある。
―お前がやったんだろう。
 幾ら言われても、身に憶えのないことだと認めようとしなかった彼を主人は幾度も足蹴にした。
 英真は他の多くの両班たちのように、庶民が自分(両班)たちより劣っているとは考えていなかったが、流石にこのときばかりは身体が燃えるほどの屈辱に震えた。
 世が世ならば、自分は政丞(チヨンスン)の息子なのだ。我が父はこの国の政を担う右議政であったのだ。道を通るときは、誰もが右相(ウサン)大(テー)監(ガン)のお通りだと道を避け、頭を垂れて見送ったものだった。
 本当なら、この貧相な男は自分とは口もきけないのだ。その政丞の倅が今、こうして、その男の前で跪いて許しを乞い、足蹴にされている―。
 結局、その足りなかった金は、主人の息子が遊ぶ金欲しさにかすめ取ったことが後に発覚した。つまり、英真は濡れ衣を着せられたのだ。しかし、男は英真に〝済まない〟のひと言もなかった。
 そんなことが数え切れないほどあった。みなし児だからと蔑まれ、石を投げられたことなど、思い出させないほど多かった。
 そんな時、政丞の息子だという誇りは現実としては何の役にも立たなかったが、少なくとも、誇りが最後のところで彼の折れそうな心を支えてくれたのは確かだ。
 負けるもんか、挫けるもんか。
 我慢に我慢を重ね、自分を奮い立たせて毎日を懸命に生きていった、あの日々。
 そんな日々に、突如として、厭気が差した。
―兄貴、俺は妓生になる。

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