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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第12章 騒動の種

 騒動の種

 皇秀龍は大股で歩きながら、大きな溜息をついた。よりにもよって、こんなときに、どうして残業など命じられるのか。
 義禁府長の底意地の悪さは既に身に滲みて知っているはずだが、流石に、一刻も早く―、それこそ空が飛べるものなら、飛んででも帰りたいと願っているときに、無情にも残業を言いつけられるとは考えだにしていなかった。
 まあ、義禁府長にしてみれば、詳しい皇家の内情など知る由もないのだから、単にいつものように気紛れを起こしただけなのだろうが。
 今朝も秀龍は毎日のごとく王宮に参内した。彼の職場は言わずもがな、義禁府であり、ここは王命によって重罪人などを取り調べる専門部署である。秀龍は昨年、正六品判官から従五品都(ト)事(サ)に昇進したばかりだ。
 議政府の右参賛を務める父才偉もまた同時期に右参成に位階が上がり、皇家は昨年の春は歓びに溢れた。いつもは何かと機嫌の悪い母も、良人と一人息子の出世にいつになく上機嫌だったのは記憶に新しい。いずれ、父は右議政にもなるだろうと噂されているし、その嫡子である秀龍もまた、義禁府きっての手練れ、当代一の俊英と名高く、王さまのお憶えもめでたい。
 皇家のゆく末は光に満ちているように誰の眼にも見える。実際、秀龍もまた今の暮らしに満ち足りた想いを抱いていた。
 とはいえ、彼がそう感じているのは、何も出世したからというわけではない。彼にとって重要な意味を持つのは妻一人で、それ以外はすべて取るに足りないのだ。
 妻がいつも傍にいて、その笑顔を見ていられたら、秀龍は十分すぎるほど幸せだし、裏腹に春泉がいなければ、贅を凝らした屋敷に住んでいようが、どれほどの栄耀栄華を約束されようが、全く意味がないのだ。
 その大切な愛妻が昨夜から、どうも具合が思わしくない。本人は風邪でも引いたのだろうと言うのだが、何しろ、熱が結構高い。
 それでも、今朝も常のように起き出そうとするので、秀龍は強制的に寝かしつけた。春泉付きの女中にも、何があっても部屋から出してはいけないと厳重に言いつけて出かけてきたものの、こうして王宮にいても、気が気ではない。

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