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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第12章 騒動の種

「いいえ、いいえ! 自分の身が可愛いから、このように申すのではありません。私は鞭打たれようと何をされようと、構いはしないのです。ただ、私には家族がいます。実家は貧しく、母は露店で野菜を細々と売って生計を立てていますが、育ち盛りの三人の弟妹たちを養ってゆくには到底足りません。皆が私の仕送りを首を長くして待っているのです。もし、私が捕らえられ、処刑されてしまったら、母や小さい弟妹たちはどうなるでしょう?」
「―それは」
 秀龍は言葉を失った。
 ここで知らぬ、自分には拘わりのないことだと美京を振り切ることもできた。いや、大概の男なら、そうしたはずだ。厄介事に巻き込まれないようにするためには、心が多少痛んでも、見て見ないふりをするしかないのだと割り切れるだろう。
 しかし、秀龍にはできなかった。自分の眼の前で泣き崩れ、弟妹や母の窮状を切々と訴える娘を突き放せなかった。それが秀龍という男の優しさであり、情に脆い面なのだ。
「父御はいかがしたのだ?」
 訊ねると、美京は首を振った。
「働いても働いても、ちっとも楽にならない生活に厭気が差したのでしょうか。私が十二歳の時、黙って姿を消しました。その頃、私はもう王宮に見習いとして上がっていて、父に最後に逢ったのは、その四年前に王宮に上がる前のことです。丁度、末の妹が生まれた直後に、父は家族を棄てて家を出たのです」
「―」
 最早、返す言葉はなかった。
 この娘が八歳という幼さで女官見習いに上がったのも、恐らくは家計を支えるためだったに違いない。一家から女官を出せば、米や金などが定期的に実家に支給されるし、子ども一人分の食い扶持も減る。いわば、口減らしの意味で、奉公に志願する少女は多かった。
「そなたの境遇はよく判った。安心しなさい、私は今日、そなたに逢わなかったし、何も見なかった、聞かなかった。ゆえに、知らぬ罪を上司に報告することもできない。だが、林女官、これからは幾ら仲間に唆されても、このようなことをしてはいけない。仲間内の苛めも辛いのは判るが、そなたが食べ物を盗んだ罪で捕らえられれば、そなたの母や弟妹がどれだけ嘆き哀しむかをよく考えるのだ。最悪の場合、もう二度と家族に逢えないことにもなりかねない。判ったね、短慮はくれぐれも慎むように」
 秀龍は幼い妹に諭すように言い聞かせ、立ち上がった。

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