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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第12章 騒動の種

 いや、それでも、やはり、この時、秀龍は出てゆくべきだったのだ。
 秀龍は再び美京を床に寝かせ、自分はその枕許に座った。一刻もここを去るべきだと判っていたが、痛みに呻く美京を置いてゆくわけにもゆかない。
 しばらくして、痛みは治まってきたらしく、美京は静かになった。その表情も随分と安らかになってきて、秀龍は今度こそと腰を浮かしかけた。
 幸いにもここまでは誰にも姿を見られていない。立ち去るなら、今しかなかった。
 美京も眠ったのか、眼を閉じたまま身動きもしない。
 そんな彼の思惑が伝わったのかどうか、眠っているはずの美京が眼を開いた。
「待って下さい、もう少しだけ、ここにいて下さいませんか?」
 立ち上がろうとする度に〝待って、もう少しだけ〟とせがまれ、そんなことを何回繰り返しただろう。
 振り切ろうとしても、いかにも心細そうな泣き出しそうな表情を見ると、脚が縫い止められたように動かなくなった。
 結局、秀龍が美京の部屋を出たのは、もう東の空が白々と明るくなり始めた夜明け前であった。つまり、ほぼ一夜に渡って、彼は美京の室に二人だけで籠もっていたことになる。
 義禁府長に言いつけられた仕事はむろん少しも片付かなかったし、屋敷に帰ることさえできなかった。
 熱を出して寝込んでいる春泉のことを思い、秀龍は気が沈んだ。
 熱が高くなっていなければ良いが―。
 とりあえず、今日は屋敷に帰っている時間はない。本当なら、今すぐにでも帰り、春泉の顔をひとめ見るだけでも見て、こっちに引き返してきたいのに。
 だが、もう猶予がない。とにかく、これから詰め所に戻って、夜明けまでに少しでも書類を書き写しておかなければならない。
 さもなければ、あの義禁府長にどれだけの厭味を言われることか、考えただけで寒気がする。
 美京の室は、馬尚宮の住まう殿舎にある。王城は広く、国王の住まう大殿(テージヨン)、王妃の住まう内殿、また王の母である大妃の住む大妃殿だけでなく、王の妃たち、後宮の各部署を統括する尚宮たちの住まう殿舎がその広大な敷地内に散らばっているのだ。

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