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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第12章 騒動の種

「旦那(ナー)さま(リ)、もっと優しくして上げて下さいませ。小虎は今、落ち込んでいる真っ最中ですもの。私たちまでが邪険にしたら、余計に沈んでしまいます」
 秀龍が苦笑めいた笑いを滲ませた。
「そなたには男の気持ちは判らないだろうが、失恋した後は、しかもその痛手が大きれば大きいほど、優しくされると、落ち込むのさ。自分が惨めに思えて、情けなくて堪らなくなる。そんな時、優しさはかえってあだになる。できれば、失恋したことなんて相手は知らないんじゃないかと思うくらい、知らんふりをしてやるのが男同士の友情っていうものなのさ、なっ、小虎?」
 最後のひと言は、どうやら小虎に向けて発せられたものらしい。つまり、秀龍なりの思いやりということなのだ。
 返事のつもりか、小虎は〝ニャン〟とひと声鳴くと、トコトコと歩いてゆく。どうするのかと春泉が心配して眼で追っていたら、小虎は前脚で器用に両開きの扉を押して出ていった。
「小虎なりに気を利かしたつもりだろう」
 秀龍は笑いながら言った。
 いつしか自分の知らない間に、男同士の友情とやらを築いた良人と愛猫の関係を知り、春泉は少し複雑そうな表情だ。
「それにしても、あいつも女運のない奴だなあ」
 秀龍が呟くと、春泉も沈んだ声音で言った。
「まさか素(ソ)花(ファ)が小虎ばかりか、産まれた仔猫まで置いて出ていってしまうとは思いませんでした。良い奥さんだと思っていたのに」
 そう、てっとり早くいえば、小虎は妻に見棄てられたのである。素花は二年前に初めての子どもを出産し、ついふた月ほど前にも二回目の出産を終えたばかりだった。
 最初は産まれた数匹の仔猫はすべて貰われていったが、今回は流石にすべての仔猫を外に出してしまうのは可哀想だということで、一匹だけは手許に置くことにしたのだ。その仔猫すら置いて、素花はある日突然、いなくなってしまった。
 その数日前から、春泉の乳母玉(オク)丹(タン)が他の雄猫と共に一緒にいる素花をしばしば目撃していることから、素花が他の男と駆け落ちしたのは間違いないようである。
 全く、猫の世界も人間の世の中もそうそうは変わらないらしい。げに移ろいやすいのは人の―いや、猫の心ということか。いや、多分、この場合、女心が変わりやすいということなのだろう。

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