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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第12章 騒動の種

 大男が吠えると、新たに現れた男がニヤリと口の端を引き上げた。
「さあ、痛い目を見るのはどちらかな?」
 次の場面からは、あまりに素早い展開で、春泉は何が起こったのかすら把握できないでいた。
 ただ我に返ったときには、熊のような大男の巨体がまるで鞠のようにはるか後方に弧を描いて飛んでゆくところだった。
 それは見物人も同様らしい。皆、唖然として空を飛んでゆく大男を眺めている。
 やがて、ドサリと派手な地響きが聞こえ、地面に大の字になった大男が仰向けに倒れていた。途端に、見物人たちから、やんややんやの歓声が上がり、中には口笛まで聞こえた。
 ぞんざいながらも、実に優雅な男の身のこなしに、その場にいた連中からは拍手さえ起こった。
「あ、あの。危ないところを助けて頂いて、ありがとうございます」
 立ち上がりながら口にした春泉の前に、さっと手が差し出された。
「大丈夫? どこか打ったところは? 怪我はないだろうね」
 どこか聞き憶えのある声に、春泉はハッと面を上げる。
「ヒ、香月?」
「さ、俺の腕に掴まって」
 差し出された手に縋り、やっとの想いで立ち上がる。
「全っく、君って娘は、何てお転婆なんだ? どうして皇氏の若奥さまがこんな場所に一人でいるんだよ?」
 少し掠れた艶っぽい声が、何故かとても懐かしいものに思えた。知らない人ばかりの中で知っている人に逢えたからだろうか。
 春泉の瞳に熱いものが溢れた。
「あー、また泣いちゃった。どうして、俺を見ると、春泉は泣くのかな」
 もう、本来の男らしい低い声に戻っている。
 香月は微笑むと、春泉の手を引いて、ゆっくりと歩き始めた。
「歩いても、どこも痛まない?」
 あくまでも春泉の身体を気遣ってくれる香月に、春泉は恐る恐る背後を振り返りながら訊ねた。
 大男はまだ道に仰向けに倒れたまま、微動だにしない。
「あの男、どうなったのかしら。死んだの?」

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