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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第13章 陽溜まりの猫

 春の陽が落ちる頃、秀龍が帰宅した。
 いつも秀龍が帰ってくるのとほぼ変わらない時刻である。
 オクタンがいつものように二人分の食事を小卓に載せて運んできて、夕食が始まった。
 一見、いつもと変わらない宵の光景ではあったが、春泉は全く食欲が湧かず、オクタンに特別に作って貰った松の実粥も殆ど手付かずの有り様だ。
 食べられないのは、何も今日に限ったわけではない。ここ半月ばかり、唐突に烈しい吐き気が襲ってきて、何を食べる気力もない状態が続いているのだ。最初は風邪のせいだろうと高を括っていたら、熱は下がっても、頑固な嘔吐感だけは去らず、こうして春泉をしばしば苦しめる。
 胃の調子でも壊したのだろうが、秀龍や心配性のオクタンに言っても、かえって心配させるだけなので、内緒にしていた。
 秀龍に促されて匙にひと口掬ってみても、口許に運んだだけで食べずに器に戻してしまう。そんなことの繰り返しだ。
 秀龍がそんな春泉の様子に気づいていないはずはないのだが、最初は黙って自分も食べることに専念していた。
「どうした? また食欲が出ないのか?」
 優しく問われても、春泉は頷く気力さえ出なかった。
「今日、さる女人が訪ねて参りました。何でも旦那さまの知り合いだとか言うので、とにかく客間に通そうとしたのですが、どうしても門前でと言い張るので、そこで話をしました」
 突如として切り出された話が意外だったらしく、秀龍は眼をまたたかせた。
「私の知り合いの女?」
「何もそのように愕かれることはないでしょう。旦那さまにもお知り合いの女人はいらっしゃるでしょうに」
 我ながら皮肉めいた物言いが嫌になるが、今は言葉を選んでいる余裕はない。
「知り合いというほどの知り合いは特にはいないはずだが―。一体、どこの誰だろう」
「後宮の女官だと申しておりました。ひと月前、旦那さまと一夜を過ごしたことがあるとか、そんなことも言っていました」
 春泉の淡々とした言葉に、秀龍がギョッとしたように眼を見開いた。
「馬鹿な! 何故、私がそのようなことをする必要がある?」

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