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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第13章 陽溜まりの猫

 何もかもが上手くいっていると思っていたのに、娘の身に何が起こっていたのだろう?
 春泉は負けず嫌いな気性ではあるが、深い考えもなしに、黙って屋敷を出るような愚かな娘ではない。何かよほどの事情があったに違いないのだ。
 いかに離れているとはいえ、母として娘の苦衷に気づいてやれなかったことが悔やまれてならない。
「私がお嬢さまのお側についておりながら、申し訳ございません」
 唇を噛みしめるチェギョンの前で、オクタンは泣き崩れた。

 皇氏と柳氏の屋敷が大騒動になっていた同じその頃。
 春泉は何と漢陽の外れ、色町にいた。
 皇氏の屋敷を出たのは、まだ夜明け前の蒼さが漂うほの暗さが屋敷を包んでいる頃のことだ。
 元々、この屋敷は人の出入りに関しては寛容というか、無頓着で、夜間も屈強な若い家僕が何度か形式的に庭を見回るだけだ。ゆえに、春泉が出てゆくのも存外に簡単なのだ。
 が、屋敷を出たところで、ゆく当てはない。
 実家に戻ることは一番に考えたけれど、春泉の家出が発覚すれば、まず秀龍は実家に遣いを寄越すだろう。それが判っていながら、実家には身を寄せられない。
 母の許に戻れないのなら、他にどこへゆけば良いというのか。
 当て処もなく歩き続け、ふと気づいたときには、自分でも思ってもいなかった場所にいた。それは、香月がいる翠月楼もある妓房がひしめく色町であった。
 流石に躊躇いはあったが、春泉は思い切って翠月楼に脚を向けた。
 廓はこの時間、まだ深い眠りの底に沈んでいる。妓生たちは客の男たちを明け方、送り出した後、昼近くまで床の中で眠るからだ。
 夜の帳が降りれば、艶めかしく彩られるこの町も朝の光の中では、どこかうらぶれた淋しさが漂う。
 店の前を箒で掃いていた見習いの少女を見かけ、香月はいるかと訊ねてみる。
 両班の若夫人に突如として声をかけられ少女は飛び上がらんばかりに愕いたらしい。
「愕かせてしまって、ごめんなさい」
 謝ろうとしているのに、少女は怯えた野兎のように奥へと引っ込んでしまった。

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