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　秀龍は何も変わってはいない。十年前、祝言を挙げたそのときと変わらず、ただ春泉の身の安全を願い、春泉を守ろうとしてくれる。
　と、その時。
　ダッと小さな塊が春泉の眼前を飛ぶように横切った。―かと思うと、何とも情けない悲鳴が夜の静寂(しじま)に響き渡った。
　そのわずか後、秀龍は両頬にひっかき傷をこしらえ、仏頂面になっていた。
「しかし、小虎もまだまだ、お爺さまとは呼べぬな。全く、いつも丸まって眠ってばかりいるのが嘘のようではないか」
　新婚時代、秀龍を良人して受け容れられない春泉を押し倒そうとして、秀龍はよく小虎の逆襲に遭った。その度に、顔中をひっかかれたものだ。
「おい、小虎。私は別に春泉を泣かせたわけではないぞ。これは哀しみの涙ではなく、歓びの涙なのだ。お前もまだ、女の涙が見分けられぬとは、男としてまだまだ修業の余地がありそうだぞ」
　小虎は秀龍が何を言おうと知らん顔、春泉同様、あらぬ方を向き、のんびりと毛繕いなど始めている。
　分別臭い顔で猫に説教する秀龍を見て、春泉は肩を竦めた。
「ところで、私も是非、旦那さまにお訊きしとうございます。旦那さまの方こそ、今夜はどこにお行きになっていたのですか？」
「それは」
　流石に喧嘩した日の夜、妓房に行ったとは言いづらいのだろう。先刻までの意気はどこへやら、途端に口ごもる秀龍を軽く睨みつけ。
「どうせ香月のところでしょう」
　言ってやると、秀龍は実に嬉しそうに破顔した。
「何だ、妬いているのか」
　世にも幸せそうなその閉まりのない表情が余計に癪に障る。
「妬いてなんかおりません」
　春泉はプイと横を向き、少し意地悪な気持ちで付け足した。
「そう申せば、近頃、香月のことをしきりに思い出すのです。香月に逢って、積もる話しもしたいので、久しぶりに翠月楼に行こうかとも考えているのですけど」
　はるか昔、男装して翠月楼まで行ったときの話を持ち出すと、秀龍はいつも露骨に過剰反応する。