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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第3章 父の過ち

 光王は素早い身のこなしで起き上がった。韋駄天の走りで見知らぬ男の許へと駆けてゆく。
「おいっ」
 その声に、男が振り向いた。想像どおり、まだ二十そこそこだろう。
「男に棄てられた小娘でもあるまいし、何を女々しいことをしてるんだよ?」
 つい先刻、自分で自分の身の上に涙していたことは、この際、忘れよう。
「放っておいてくれ」
 身投げする人間がこんな場合、大抵は口にする科白を男も言った。
 光王はわざと突き放すように言った。
「別に、俺はあんたがどこでどうなろうと確かに知ったこっちゃない。けどさ、俺の眼の前で入水自殺なんて辛気臭いことだけは止めてくれないか? そんなに死にたいのなら、悪いが、別の場所でやってくれねえか」
「何だと?」
 男が眼を剝く。光王が思ってもみなかった科白を口にしたようだ。鳩が豆鉄砲を喰らったようなその表情で一目瞭然である。
 彼が愕くのも道理だ。こんな時、普通なら、〝人生、まだまだ棄てたもんじゃない〟とか〝死ぬのは早すぎる〟とか、宥め自殺を思いとどまらせる科白を口にするだろうから。
「今夜、土左衛門が夢に出てくるなんざ、できれば避けたいからな。まあ、美女の幽霊なら、今夜と言わず夜な夜な出てきてくれても、歓迎するけどさ」
 しれっと言う光王に、男は完全に気勢をそがれたようだ。
「―お前、随分とひねくれているっていうか、変わり者だな」
 男の瞳から思いつめたような切迫した光が消えた。
 もう、大丈夫だ。光王は内心の安堵は表に出さないようにし、肩をすくめる。
「うん、よく言われる。ついでに女泣かせの色男だとも」
「―」
 男は心底呆れ果てたような表情で軽く息を吐き出し、光王の方に歩いてきた。
「身投げはもう止めか?」
 問うと、男の顔に苦笑が滲む。光王とはまた違うタイプで女にモテるであろう類の男である。人懐っこいやわらかな笑顔に心を射貫かれる女は少なくはないだろう。
 これは手強いライバル出現か? ―どこまでが単なるお気楽馬鹿なのか、侮れない切れ者なのか判らない男、それが光王である。

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