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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第4章 母の恋

「行ってらっしゃいませ」
 既に門の方には千福の乗る馬や伴の下男たちが待機しているはずである。庭を少しゆくと、噂の主である陳執事とその息子が畏まって待ち受けていた。
 主人である千福はどこにゆくにも馬に乗るが、執事を初めとする伴人はいつも徒歩(かち)である。確かに高齢では、そろそろ体力的にも厳しいと感じるようになるだろう。引退を願う執事の希望はもっともなように思える。
「うん、それでは留守を頼む」
「今度は、いつお戻りに?」
 彼女が声をかけると、執事たちと共に歩き始めていた千福がつと振り返った。
「うん? あ、ああ。十日ほど先かな」
 既に心ここにあらずといった状態で、慌ただしく行ってしまった。
 良人たちの姿が視界から消えると、チェギョンは三度めの吐息を吐き出す。
―一体、あなたの居場所というのは、どこにあるのですか?
 千福と共に暮らすようになってから、一度は訊ねてみたいと思いながら、訊ねることもできずにきてしまった。
 考えてみれば、あのひとも可哀想な人なのだ。どの女の許に行っても、腰を落ち着けられず、まるで水面を漂うわくらばのように大勢の女たちのあいだを渡り歩いているのだから。
 軽い頭痛がした。彼女は手のひらをこめかみに当て、しばらくその場にじいっと立っていた。
 陳執事の引退については、確かにもう一度、良人と話し合う必要があった。陳家は父祖の代から代々、柳家に仕える使用人であり、身分は奴婢とはいえ、柳家にとっては家族も同然だ。殊に今の陳執事は二十歳で当主となった千福を影から支えてきた。今の柳家の興隆があるのも、陳執事の存在があったからこそだ。
 陳執事の長年の功績を思えば、やはり、彼の希望を叶え、長男を使用人頭に任命するのが順当なやり方だといえる。しかし、良人の言どおり、執事の息子が父親に比べると、ひと回りどころか二回りも器が小さいことを認めないわけにはゆかない。加えて、陳執事に次いで奉公期間の長いもう一人の執事のことも考えねばならなかった。

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