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パパはかわら版

第5章 パパはかわら版D

橋龍は、それを元に版説をした。幕府の批判は、おおっぴらにした場合、罪に問われるのだから、役人批判のようなものにはなってしまう。幕府の検閲は、厳しくなってきているのだから、大した批判もできないのだが、庶民の生活の重要性をといたのだ。この時代の人たちは、情にもろく、それは役人や幕府の高官も同じだった。この時代は、武士が武士として生きる時代ではなく、それは、道として説かれていたところもある。武とは、相手を攻めるものではなく、高い道徳心を持つことであると説かれていたのだ。一方では、酒井大老が狡猾無比なやりかたで、御三家をもないがしろにしたが、それでも、過去には経済がよくなったりもした。酒井大老は、政敵は追い落とすが、庶民生活にまでは口を出さないというのが、今までの彼のやり方だった。だから、まだ瓦版は、自由な取材もできたし、役人批判もできた。とくに庶民は役人の不正には厳しい目を持っていた。面と向かって、どうこうできるものでもなかったが、そういったところは、瓦版を通して、彼らは意思表示をしていたといっていいかもしれない。ただ、こういったことは、幕府によって保障されたものではなく、酒井大老の心変わりで、すべてが変わってしまってもおかしくないわけだから、そういった緊張感は、瓦版屋には当然あった。酒井大老は、庶民が情報を持つことを望んではいなかったが、瓦版がここまで認知されていては、いくら気にくわないとはいえ、統制も加減というものがあったに違いない。

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