触って、七瀬。ー青い冬ー
第10章 夜明けの水平線
“ 綺麗な音ね ”
教会に立つその姿はまるで、天使のようだった。
神のようで、母親のようで。
命の恩人だった。
救われた、と思った。
俺は今まで、泣かなかった。
10歳の誕生日に事故で父を亡くし、
13歳で母は過労死した。
俺は泣かなかった。
泣いたら現実になってしまうから。
二人は死んでいない、
どこか遠い所に行っているだけで、
いつかすぐ戻ってくる。
ただいま、と扉を叩く。
それをいつも待っていた。
扉の前に座って待っていた。
泣かないで、待っていた。
俺と兄貴はここにいるよ。
父さんと母さんのことを、忘れないで待っているよ。
いつまでも待ってるよ。
布団にも入らないで、玄関の前で待っていた。
“ 伊織、もう今日は寝よう ”
兄貴は俺を布団に連れ込もうとした。
でも俺は動かなかった。
“俺が待ってなきゃ、二人が寂しがるだろ”
“ …伊織、もうやめろ”
兄貴は膝を床について、
俺に頼み込んだ。
二人がいなくなって、1年経っていた。
“もう、勘弁してくれ”
“何を?兄貴だって言っただろ、ずっと待ってれば帰ってくるって ”
“ …もう帰ってこない。二人は死んだ ”
“ 兄貴、やめろよ ”
“ 死んだんだよ!伊織!”
兄貴はその時、初めて俺に怒鳴った。
兄貴はいつも優しくて、笑顔だったのに。
その時、早口でまくしたてる兄貴はきっと、気が狂ったのだと思った。
“ 父さんは海に溺れて死んだ、母さんは働き過ぎておかしくなって死んだ、二人とも俺たちのために働いてるせいで死んだんだよ!
もう分かれよ!お前今何歳だ、伊織。
14歳になったんだろ!”
“…まだ9歳だよ”
“は?”
“ まだ、10歳の誕生日ケーキ、みんなで食べてない ”
10歳の誕生日。
俺は窓の外の海を眺めていた。
父さんの船が港に着くのを、ずっと待っていた。
“ 伊織…もう、やめてくれ… 頼むから…
俺は、もう耐えられない…”
兄貴は涙を流した。
“死んだんだ、二人は死んだ”
俺は泣かなかった。
“ 俺はまだ9歳だよ。俺は父さんと母さんが帰ってくるまでここにいる ”
“ 何回言ったらわかるんだよ!”
兄貴は俺の頬を叩いた。
“ 兄貴、疲れてるんだろ ”