触って、七瀬。ー青い冬ー
第10章 夜明けの水平線
“ 兄貴、バイト漬けで忙しいし、大学の学費もあるし ”
兄貴は5歳年上で、俺が14の時、兄貴は19だった。
生活費と高校の奨学金、大学の学費を全て一人で稼ごうとしていた。
その頃から、夜の仕事に手を出していたらしい。
兄貴はよく玄関で倒れていた。
朝帰りはほとんど毎日。
“ 俺は何もできてないし、
バイトできないし ”
“そうじゃない、伊織”
“だから俺は家事なんでもやるし、
これからはもっと頑張るし、
高校も公立に入るし”
兄貴もそうだった。
朝から晩まで勉強していた。
“だから、疲れてるなら休んでいいよ。
俺の学費は自分でなんとかするから”
兄貴は声を上げて泣いた。
俺にしがみついて、ごめんと言った。
俺は笑って背中をさすった。
“ごめん、伊織”
“ 二人は死んでないよね ”
俺は言った。
“ ごめん ”
兄貴はそれしか言わなかった。
“ どうして泣いてるの? ”
俺は教会に現れた麗子さんを見て、
初めて涙を流した。
“ 父さんも母さんも、
もう、会えないから… ”
いくら待っても、二人は帰らなかった。
祈っても、ピアノを弾いても、歌っても、
何も変わらなかった。
兄貴の言う通りだった。
二人は死んだ。
麗子さんは幼い俺を抱きしめてくれた。
本当の息子のように。
“ 私の所に来る?おいしいご飯あるわよ”
俺と兄貴は麗子さんにお世話になった。
例のビルの部屋をくれた。
扉には俺たちの名前が既に刻んであった。
“ 麗子さん、こんな大きな部屋
もらえません”
兄貴は本当に申し訳なさそうだった。
“水臭い事言わないで。
私達はもう家族なのよ ”
俺たちはようやく、働きづめの窮屈な生活から解放された。
麗子さんには感謝してもしきれない。
俺はピアノを弾いて金を貰った。
兄貴は夜の仕事を辞めなかった。
「俺はただ会いたかったんだよ」
「へぇ、それだけで良いんだ」
「ああ。あの子が元気に暮らしてるならそれで」
七瀬夕紀は、元気に暮らしてるとは言えなかった。