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触って、七瀬。ー青い冬ー

第10章 夜明けの水平線




「…それは、良かった」



先生は涙を流した。
先生の優しい目が僕を見ていた。



「君がピアノを好きなら、
それだけで私は幸せだよ。

これ以上の喜びはない」



僕はとても寂しかった。
なぜか、先生ともう会えないような気がした。



「夕紀君、ピアノが好きだって言ったね」


「はい、ピアノが好きです」


先生がまた涙を流した。
先生もとても寂しそうだった。



「君のピアノは素晴らしい。

誰よりも繊細で、儚くて、美しい。

一つ一つの音に、溢れるほどの感情を乗せている。


何より君の才能は、君が触れれば、どのピアノも最高の音色に変わるということだ。

鍵盤の重さや、弦の振動を瞬時に察知して、それに合わせた力で指を動かすことができる。

その微調整によって、ピアノの最善の、最良の音色を引き出す。

当たり前のようだけど、それがとても難しいことなんだよ」


僕のことを、ここまで丁寧に見てくれていた人が他にいただろうか。

僕の才能を、ここまではっきりと指摘できる人が他にいただろうか。


先生は、僕の体に触れてしまった。

でも、先生は僕を愛してくれていた。


「君はピアノを弾き続けるべきだ」





「止めるな、絶対に」





「それだけは、約束してほしい」




先生は僕の才能を、どうしてそこまで信じられたのだろう。


「5歳の頃から見てるんだよ。信じて」





「はい、弾き続けます」






先生は、これで本当に最後だと言った。




もう会わないし、もう話さない。
先生はピアノの先生もやめると言った。



「そうするしかない。
私にピアノを教える資格など、もうとっくの昔になかったんだよ。君に会ってから」



僕は辛かった。
先生にそんなことを言わせてしまったことが。



「 でも、君が私の生徒であったことはこれからも変わらない。

そうだよね 」





ガタン ガタン



電車が通り過ぎた。



雪が降っていた。
街灯に照らされて、真っ白い花が夜空を染めていた。





「ずっと、僕はあなたの生徒です」





先生の手は暖かかった。









「これからも、あなたは僕の先生です」






先生は僕に帰るように言った。



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