触って、七瀬。ー青い冬ー
第16章 薔薇戦争
そんな約束を信じるほど、
もう僕はバカじゃない
…
ザーッという雨の音が遠くになった。
今はショパンのノクターンが流れる、
薄暗いホテルのロビーのような場所。
あんな、ふしだらな行為が所構わず行われる場所があるとは思えないほど上品で優雅。
「いらっしゃいませ、葉山様と…
そちらのお連れ様は」
案内係が声をかけて、
背負われている僕の方を見た。
僕は顔を見せないように俯いた。
先生は僕の頭に手を置いた。
「良い子だね」
外の雨の音にかき消されそうなくらい、
かすかに呟いた懐かしい声が耳を掠めた。
「っ…」
僕は突然、先生の手と声を思い出した。
あの頃の、綺麗で白い、すっとした手を。
僕を優しく慰め、母親よりも暖かい声を。
「この子は客じゃない。
出来れば裏から個室に通してもらえるかな」
係員は先生に一歩近づき、小声で聞いた。
「…先生、まさかその子は」
先生、と呼ぶのが僕だけじゃないなんて。
先生は訳ありげに微笑んで係員に言った。
「君には迷惑をかけない。何も見てなかったことにすれば良い。頼むよ」
「ですが…」
「仕方ない、これくらいしか持ち合わせがなくてすまないね。どうだい」
先生の手から、係員に小さい紙の包みが渡された。
それが何かわからなかったが、その包みを手にした
係員の表情が、一気に艶やかに変わった。
酔っ払ったみたいに顔が赤くなった。
に、といやらしく笑った。
「先生には敵いませんね…。
っはぁ…、どうぞ、こちらへ」
係員は歩き出し、高揚した様子で奥の扉の中に僕達を案内した。
「どうぞ、ごゆっくり。
あ、コレは有難く頂いておきます…。
先生、またご褒美くださいね」
係員は、先生の耳元で囁いた。
「ああ、いつでも、いくらでも」
パタン、と扉は閉まった。
「…何が目的ですか?」
パチン、と音がして、申し訳程度についている壁の間接照明がほんのりと赤く光った。
「何も。私は君の身の安全を最優先に考えた。
それだけだよ」
「身の安全って…。本当に何が起こってるんですか。僕は本当はこんなところにいる場合じゃないんです。解決しなきゃいけない問題が沢山あって」
先生はコートを脱いだ。
濡れた髪を後ろにかきあげて、水滴が額を流れていた。
「妊娠した彼女と、本当の両親?」