触って、七瀬。ー青い冬ー
第17章 My Man
僕は窓から投げ出され、アスファルトの上に転がった。少し擦りむいた膝を抑えながら立ち上がった。
「先生、死なないでください」
先生はまた笑った。
「夕紀君、人間はいつか死ぬものなんだよ。
だから私はいつ死んだって構わないんだ」
ドンドンドンと音がこだましている。
扉が硬い何かで突き破られそうだ。
「元々、そう長く生きられる体でもなかった。
だから今この時まで生きてこられたことが奇跡、
それだけで幸せなんだ」
先生は窓に近づいて僕を見下ろした。
「だから私のことなんか気にせずに、早く逃げなさい。君が死んだら一体どれだけ伊織が悲しむか。
想像するのも恐ろしいね」
「なんで高梨を…」
「さあ、ほら早く」
先生はそれだけ言って窓を閉めた。
僕はそれを合図に、思い切り走った。
真夜中、湿った空気の中
空は曇りで月は見えない
今日も淀んだ空
車から煙が上がっていた
サイレンの音と電車の走る音
怒鳴り声と急ブレーキの音
信号機の音、赤信号に変わる不安定なメロディ
パーン
一発の銃声
振り向かないで走り続けた
ポケットの中に手書きのメモが入っていた
《君を本当に守ってくれるのは彼だ
私じゃない。
守るどころか傷つけてばかりだった。
すまなかった。
ピアノは嫌いにならないで。
元気で。》
文章の下には地図と住所が書かれていた。
見覚えのある場所だった。
「はぁ、はぁっ」
パーン
また銃声がどこかで鳴った
《元気で》
夢かと思った
いや
夢だろう
だって死ぬということはいないということ
だけどまだあの声も手もここにあった
決して消えてなどいなかった
まだ、たしかにその人の熱を感じていた
走り続けていたらもう夜が明けていて
今、昨日の輩に追われている。
もう膝も足首も痛くて
息も途絶えそうで
雨は重い足をさらに重くした
「はぁっ、はぁっ、っああ!」
逃げ続けてきた。
人生とは、逃げること。
僕にとっては
立ち向かうこととはつまり傷つくこと
僕にとっては
逃げることだけが安全でいる方法
そうやって逃げ続けた罰なのか
逃げ場がもう、どこにもなかった