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触って、七瀬。ー青い冬ー

第1章 七瀬夕紀の感傷






〜電車が到着します。白線の内側までー



満員電車は全然嫌いじゃなかった。
みんな大変なんだなと思えるから。

辛い思いしてるのは僕だけじゃない。


みんながみんな幸せなわけじゃなくて
みんな悩みを抱えながら
満員電車の中で揺られているのだ。

そう思えることは僕には有難いことだった。

そう思えなければ
僕はきっと壊れてしまう。

いつか壊れてしまうだろうということも
わかっている。

だから、今はそうならないように
なんとか息をしている。


辛いのは僕だけじゃない。
むしろ、みんなが苦しんでいて
みんなが悲しんでいるけれど
いつも笑顔でそれを隠しているのだ。

そう思うといくらか楽になって
孤独感が一瞬だけなくなる。


でも、それは応急処置だ。





世界は美しかった。


そう思い出したのは、今年の春

あの人に出会った時だ。


「初めまして。タカナシ イオリです」


僕はぼーっとしていた。

その挨拶にもなんの興味も持たなかった。
新学期が始まって転入してきたその男子生徒に
拍手が送られたが、
僕はたった3度手を合わせただけだった。

しかしその生徒がこちらに背を向け
チャークを手にした時
僕はその手に目を奪われた。

その手がとても美しかった。

指は真っ直ぐに伸び長く、
手の甲に見える筋さえ美しかった。

僕はなぜ、
他人の手なんかに目を奪われているのだろう。

変だと思いながらその手をじっと見つめていた。

気がつくとその手はチョークを置いていた。


《 高梨 伊織 》


「僕の名前、覚えてくれたら嬉しいです。
できれば下の名前で呼んで欲しいです」

下の名前、か…

「気軽に話しかけてください。短い間になるかもしれませんが、よろしくお願いします。」


また拍手が起こった。

高梨伊織は照れ臭そうに笑った。

拍手をするのを忘れていた。

その日、その時、何を考えていたのだろう。

僕は彼の顔を見つめていた。

そして彼は僕の視線に気づき、微笑んだ。

すぐに目を逸らしたのは僕の方だった。

なぜかとても恥ずかしいと思った。

そして、悔しいと思った。

心臓が痛かった。



…それが
僕の人生最大の汚点を作り出す第一歩になっていたとは知らなかった。

そして、彼は全てを知っていた。




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