触って、七瀬。ー青い冬ー
第1章 七瀬夕紀の感傷
…
彼は僕の何を知っているというのだろう。
僕は無口で、地味で眼鏡をかけた『優等生』的だった。それなのに、彼は僕に声をかけるのだ。ほかの誰も、僕に声をかけたりしない。それなのに。
「おはよう七瀬」
その声ははっきりとしていて、芯がある。
濁りのない、風のように心地のいい響きだ。
彼は僕の机の前に立って僕を見た。
僕はこの、窓際の1番後ろの席が気に入っていた。先生から見えにくい場所で、退屈したら窓の外を眺められるし、時には飛行船が見える。
「…おはよう」
だけど、素直に喜べるものでもなかった。
なぜなら隣の席はこの高梨伊織だからだ。
高梨伊織が隣の席に座る。
「ちゃんと朝食べてきたか?俺さ、ご飯と味噌汁食べないと調子でないんだよ。
お前はなんかないの?毎日食べるものとか」
僕は、身を乗り出して聞いてくる彼に若干の嫌悪感を抱いていた。
そんな話をして何が楽しいんだろう。
僕の朝食の話が、彼になんのメリットを生むのだろう。
少なくとも、彼が僕との会話を楽しんでいるとは到底思えなかった。なぜなら僕の返答はいつも一言だったから。
「ないよ」
「ふーん、そうなんだ」
聞いておいて、適当に返事を返す。
まあ、僕の返答のせいだろうとはわかる。
「でもさ、朝食は母親に作ってもらうだろ?なんかあるんじゃないの?得意料理みたいなさ」
「…ないよ」
今朝の母を思い出した。
僕とはほとんど目を合わせなかった。
朝食なんてもう何年も家で食べていない。
高梨伊織にはさぞかし優しく、家庭的な母親がいるのだろう。
その揺るぎない自信とか、終わらない会話とか、少しうざったいくらいの親しみやすさとかは、美人な母親の遺伝なんだろう。
そうじゃなきゃ、普通の男子高校生がこんなに完璧なわけがない。
…事実、高梨伊織は完璧だった。
「ないって?毎日違うメニューかよ」
「…そう」
朝食を作ってもらうのが当たり前、という家庭で生まれた人間に、
毎朝コンビニのサンドイッチと野菜ジュースで済ますちょっとした背徳感と心地よさはわからないだろう。
なんの背徳感かって?
それは多分、コンビニの野菜は不健康だと聞いたからだ。
でも、不健康だからなんなんだ。
僕は小さい頃からコンビニが好きだった。
今更何を気にするだろう。