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触って、七瀬。ー青い冬ー

第4章 仮面の家族



葉山 秋人。
それがこの男の名前だ。

「今日はレッスンとは違うんだ。
単純に、外食をするだけだよ。
何も心配することはない」

葉山先生は、僕のピアノの先生だった。

「君は成長したし、先生と対等に話すこともできるだろう?君も私も大人なんだ」

この男が言おうとしていることは分かった。

「…わかりました」

僕は祈るようにうなづいた。
僕は大人になった。
それは、もう大丈夫だということ。

「じゃあ、行こうか」

僕は先生の後をついていき、家の玄関前に止めてある車に乗り込んだ。


「本当に君の家はいい家だね。

羨ましいよ。それに美人なお母さんに、
あんなに優しいお父さんまで。

恵まれてるよなぁ」

葉山先生は、運転しながらそう言った。

僕は、何も分かってない、と思った。

他人にとって恵まれている、と思われることは、全く幸せなことじゃない。
むしろ不幸なことだ。

僕の家族は、羨ましがるようないい家庭ではない。僕の家は、みんなが集まる我が家ではない。

裕福であることは、何の幸せも生み出さない。少し広いキッチン、少し広い部屋。
それが何になる?

贅沢だというなら、僕は全て差し出したっていい。なぜなら、要らないから。

「夕紀君も、綺麗な顔立ちで色も白くて、
恵まれてるよ」

葉山先生の、あの目つきが蘇る。
フラッシュバックするのは、幼い僕の記憶。

「…やめてください」

「褒めたのに、何で怒るかな」

外見を褒める奴に、まともな奴はいないからだ。

20分程して、車はあるビルの前に止まった。

「着いたよ」

車を降りると、高級そうな黒く光るビルがそびえ立っていた。何十階あるのかわからない、とにかく高いビルだ。

「こんな所、初めてだろう」

葉山先生は車を降りて、僕に言った。

「…はい」

葉山先生は僕の隣に立った。

「緊張しなくても大丈夫。
若い子も多いから」


ビルの大きな自動ドアを通り、エレベーターに乗り込む。そこにもスーツを着た男性が立っていて、ただボタンを押すだけの仕事をこなしていた。

「レストランですね。かしこまりました。」

男性は25階を押した。

そんなに高い所まで行くのか。


「さぁ、乗って」

促されて、二人には広すぎるエレベーターに乗り込んだ。

上半分はガラス張りで、夜の景色がよく見えた。

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