触って、七瀬。ー青い冬ー
第4章 仮面の家族
「いい景色だなぁ」
扉が閉まると、葉山先生は僕を見た。
「夕紀君、高校の制服もよく似合うね。
とても良い」
先生はそう言って、僕の肩を叩いた。
「…ありがとうございます」
その手は肩に置かれたままだった。
その手で《とても良い》がどういう意味か
分かってしまう自分が嫌だ。
「なんとなく声も低くなったかな?」
「声変わりは、終わったと思います」
「そうか…。すごく楽しみだな。声変わりする前の君の声はとても可愛らしかったけど、今度はもっと色気が増したみたいだ」
葉山先生は僕の全てを知っていた。
だから、僕が嫌がっているのも分かっている筈だ。
「また一緒にピアノが弾けるといいね」
ああ、こんな会話を続けるのは気分が悪い。普通の親戚ならなんとも思わないのだろうが、葉山先生は違う。普通じゃない。
たくさん並ぶエレベーターのボタンの上には、15階と表示されている。
「夕紀君、私が君に教えた事は間違っていなかっただろう?」
葉山先生は僕の目の前に立って言った。
「…どの話をしているんですか」
僕は窓の外に目をやった。
この辺りで一番高級店が並ぶ通りで、
下に広がる通りは上品な街灯で照らされていた。
ここはこんなに綺麗な場所なのに、
僕が居ていいのだろうか。
場違いなんじゃないか。
「もちろん、君が思っていることだよ」
葉山先生は、僕の顎を手のひらで持ち上げた。
「…先生は間違っていたと思います」
先生の親指は僕の下唇をなぞった。
そして、ふっと笑った。
「そうかもしれないね。君と初めて会った頃、私はまだ22だった。君と同じで幼かったんだ。過ちの一つや二つがあっても不思議じゃない。そうだろ?」
葉山先生は僕を丸め込むのが上手かった。
僕は先生に逆らえない。
僕は先生を心から嫌う事は出来ない。
いくら嫌いだと思ったり、
最低だと軽蔑したとしても、
先生はそれを忘れさせる。
なぜなら、先生は僕を見ていてくれたからだ。
一人ぼっちで、寂しかった僕に構ってくれた。
今は、先生が正しかったとは思わない。
でも、仕方なかったのだと思う。
…何より、僕は幼かった。
僕は先生のような人を必要としていた。
「でもそれから12年経って、私も君もすっかり大人になった。」