触って、七瀬。ー青い冬ー
第1章 七瀬夕紀の感傷
「毎日違う献立って大変だよな。
よっぽど良い母親なんだな」
高梨伊織は感心したように言った。
「うん」
僕はうなづいた。
母は決して家庭的ではない。
褒められた人ではないだろう。
実際、僕も寂しい想いは沢山した。
「お、珍しく即答」
しかし、彼女が悪いとは思わない。
僕は彼女の強さを尊敬している。
僕をここまで育ててくれたのだから。
「あ、そうだ。昨日の話どうなった?」
高梨伊織は、声のトーンを一つ下げた。
「昨日の話?」
僕の声も思わず小さくなった。
「ほら、」
高梨伊織は僕の肩に手を置いて少し寄りかかると、僕に耳打ちした。
「放課後のレッスンの話」
「あ、ああ」
僕は声がつっかえたのに気がついた。
突然水分が全部蒸発したみたいに、喉がカラカラに乾いた。
そして、昨日の自分を思い出してしまった。情けない声を出して腰を振っていた自分を。
恥ずかしさで身体中が熱くなった。
熱い、熱い、熱い。
まるで真夏の暑さの中に放り込まれたようだった。嫌な汗が背中を流れた。
もう11月だというのに。
「七瀬?」
その声で僕は現実に引き戻された。
汗が冷たい。
「あ…、うん、大丈夫…だけど」
声がうまく出ない。
「それって、YES?」
僕は曖昧にうなづいた。
「まじか、やった」
高梨伊織は小さくガッツポーズを見せた。
「でも、教えるの下手だし」
僕は眼鏡を触った。
「いいんだよ、聞いてくれるだけで十分だから」
彼は僕の肩をポンポンと叩いた。
「…そう」
僕は自分が混乱していることに気がつかなかった。
高梨伊織は誰にでも気さくで、親しげなのだ。しかし、頼みにくいことを頼まれるという立場に自分がいるなんて思っていなかった。
彼は別に僕を選ぶ必要はなかったはずだ。
でも、僕を選んだ。
それは、たまたま隣の席だったからか?
それとも、僕なら断らないと思ったのだろうか。
それとも、…