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触って、七瀬。ー青い冬ー

第4章 仮面の家族


「名前を書きなさい、夕紀君」

細長い紙がテーブルの上に置いてあった。
先生は僕にペンを差し出した。

「先生…」

「大丈夫。君はもう大人なんだ」

自分の息が震えていた。

どうして僕はここにいるのだろう。
こんなところにいてはいけないはずだ。


「先生、怖いです」

僕は先生にすがるように言った。
帰ろうと言ってくれるのを願った。

「夕紀」


僕の思考回路がショートした。
先生は僕の頭に手を置いて、何度も撫でた。

「書きなさい。君は良い子だ。
大丈夫だよ。心配ない」


僕は先生の手からペンを受け取った。

紙の上に名前を書いた。

「それでは、いってらっしゃいませ」

女性が言うと、扉が開き、僕達はその中へ入った。


ドン、ドン、という音楽の音が胸に響いた。

ここはクラブのようだった。
グラスを持った男女が入り混じって、
ホールの中を歩き、踊っている。


「君が初めて来た時、12歳くらいだったかな。よく覚えていないか」

僕は先生の後ろについて俯いたまま歩いた。

「夕紀、周りを見てごらん」

先生は立ち止まった。

顔を上げると、ステージがあった。

ほとんど裸に近い格好をした女性が、ステージで踊っていた。
体に巻きつけた布切れの中に、観客が札束を差し込む。

「彼女に最も多い金額を渡せば、
個室で接客してもらう権利が得られる。
君も渡してみると良い」


12歳の頃に来たと言われたが、よく覚えていない。

しかし、僕が本格的に男女の行為を知ったのはその頃だ。
だとすれば、その時、ここに訪れたから、僕はそれを知ったのだろう。

一体、その個室での接客とはどこまでのものなのだろう。
僕は、その接客を見ていたのだろうか。

先生は、僕に札束を渡した。

「…いりません」

「君の年頃で興味がないとは思えないんだけどな。てっきり飛びつくと思っていたよ」

「本当にそう思いましたか?」

「ああ、思ったよ」

先生の本心はわからない。
でも、先生はとっくに気づいているはずだ。

「他にもステージはある。他を見てきたらどうだい」

先生は、僕のブレザーのポケットに札束を差し込んだ。

「行ってきなさい」

先生は僕に沢山の事を教えてきた。
今日は僕に何をさせるつもりなのだろう。

僕はどうしてあの時、名前を書いたのだろう。

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