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触って、七瀬。ー青い冬ー

第1章 七瀬夕紀の感傷




……

それは、呪いのように僕の中に刻み込まれた曲だった。


ドビュッシーの、月の光。

悲しみと喜びが、万華鏡のように混ざり合っては景色を変える。

今にも全てが崩れ、
月さえ雲に覆われてしまいそうだ。

その優しい光を目にすると、
僕は涙を流さずにはいられない。




「…七瀬」


僕はその声で目を開いた。


「どう、だった?」


高梨伊織は椅子に座り、振り返って僕を見上げていた。

グランドピアノは彼によく似合った。

漆黒の輝きと、白鍵のコントラストは、
彼の嘘のない様子と純粋な様子をよく引き立てていた。


「あ…」


僕は何か言おうとした。



「…少しミスタッチあったよな?」

高梨伊織は不安そうに言った。


窮屈な音楽室の窓からは、真っ暗になった空が見える。 月は見えない。


「最後のパートはもっとテンポを落とした方が良かったかな?」


高梨伊織は肩を落とした。


僕は首を振った。



「とても良かったよ」


僕は彼の目を見た。

すると、彼は少し目を細めた。

「七瀬」

その細められた目が何を考えているのかわからなかった。




僕は高梨伊織が苦手だ。




いや、嫌い、とさえ言えるかもしれない。


彼には何も非がなかった。
それが理由だ。

完璧な高梨伊織は、
恐ろしかった。





そして今、高梨伊織が何を考えているのか、全くわからない。



今までだって、わからなかった。



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