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触って、七瀬。ー青い冬ー

第1章 七瀬夕紀の感傷



「はっきり言えよ」

高梨は少し声を落とした。
僕がお世辞を言っていると思ったのだろうか。

僕は何を言えば彼が納得するのか、
どうすれば僕の本心だとわかってくれるのか考えた。でもわからなかった。

「おい七瀬!」

どうして彼はこの時、そんなに怒っていたのだろう。彼は本当にうまく弾いた。

「本心だよ」

僕は言った。
それ以上僕には何も言えなかった。

彼は立ち上がった。僕より頭一つ分背が高かった。

「お前、弾けるよな」

高梨は僕を見下ろした。
僕は俯いていた。

「…」

僕にどうしろというのだろう。
彼はきっと、どうしても自分は不十分だと僕に言って欲しいのだ。
しかし、僕はそう思っていない。
彼の演奏は完璧だった。

「弾けよ」

高梨は言った。彼の様子はいつもとは別人のように違った。初めて、高梨に対して強い拒否反応が起こった。

「七瀬」

高梨は僕の手首を掴んだ。

「嫌だ!」

腕を振り払おうとしたが、無理だった。
高梨の力は僕より倍近く強かった。
そして、こんな状況でも僕はその彫刻のような僕を掴む手に目を奪われた。

「何が嫌なんだよ」

高梨は僕の手を離さなかった。

「ピアノは嫌いなんだ」


「七瀬」

高梨は僕を呼んだ。
僕は俯いたままだった。

「嘘つくなよ」

「嘘じゃないよ」

僕は君に嘘をついた。
何度も嘘をついた。
君は気づいていたのか、
それでも今の僕は正直だった。

「じゃあ何で俺を見ない?」

僕は鞭で打たれたような感覚だった。
その言葉でとどめを刺されたようだった。
僕はやはり、嘘をついていた。

「今日は特に余所余所しい。
何を聞いても目を逸らす」

高梨は気さくなんかじゃなかった。
今までの親しみやすい雰囲気は、彼が作り上げていたもので、本当の彼は違う。
威圧的で厳しく、頑固だ。

「目、見ろ」

僕は窮地に追いやられた。
この状況で顔を合わせるなど、一体なんの罰ゲームなのだろう。
僕は本来喜ぶべき状況にいながら、
とても苦しんでいた。

「…嫌だ」

高梨は僕の腕を強く引いた。
そして、ピアノの前の椅子に僕を座らせた。

「弾けよ」

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