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触って、七瀬。ー青い冬ー

第6章 寒空の吸殻



先生は笑った。

「君は本当に嘘が上手だね」

僕の体はもともと綺麗なんかじゃなかった。僕の心も。

生まれた時は真っ白だなんて、誰が決めたんだろう。

僕はきっと、生まれた時から真っ黒だった。

香田は僕を好きだと言った。

先生は僕を欲のために使ったと言った。

僕は香田を憎んだ。
そして許した。

僕は先生を憎んだ。
僕は先生に依存していた。

「先生しかいなかったんです。
頼れる人が。ピアノは全然好きじゃなかったけど、先生は僕を見てくれていた。
ピアノを弾いてさえいれば。
両親も満足そうだった。そうですよね」

「うん、たしかに」

《良い子だね》って、言われたかっただけ。先生しか言ってくれない。
気持ちいいことも、先生なら許してくれる。

「でも、君は中学生になった頃からどんどん離れていったね。それはどうして?
高校になったら君はピアノをやめた。

今日だって、君は私を怯えるような目で見ていたのに」

僕の心は風向きによって押し流される、
笹舟みたいな頼りないものだ。
目的地なんかないし、僕の意思なんて波や風に押しつぶされるし、結局流されるだけだ。


「先生から離れる努力をしたんだと思います。これ以上足を埋めてしまう前に」

僕は《いいこだね》という言葉に、何の価値もないことに気づいたのだろう。
僕は自分がもともと、良い子じゃないことにようやく気づいた。

「中学になった時、いじめが始まって」

先生は煙草を取り出して、火をつけた。
夜が深くなるにつれて、空気は乾燥していった。寒かった。

「それが全部先生のせいじゃないかって思うようになったんです。僕がいじめられてた理由が、ゲイだから、だと思ってて」

先生は煙を吐いて、煙は先生の後ろに流れていった。強い風が吹いた。

「実際、いじめをした本人はそう言って僕を嬲ってたんですけど」

僕は寒さで手をポケットにつっこんだ。
カサカサと音がして、半分になった札束だと気がついた。

「僕は自分がゲイじゃないと思ってました。まだ運命っていうか、そういう、好きになるべき人が現れないだけだって」

先生はふっと笑った。

「運命か。君がそんなことを言うなんて、随分大人になったんだね。でも、私がどうしていじめの原因になるんだい」

先生は煙を吸った。
僕は冷たい風に身体を震わせた。

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