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官能マシン

第1章 官能マシン

 ガタンという音でわれに返った信一はハッとした。終業の5時になったとみえ、慶子は素早く席を立ってドアに向かって歩いていた。信一はお尻を左右に振って歩く慶子の後ろ姿をポカンと口を開けて見送っていた。
「近ごろの若い子はいいなー。自由だなー 変な気取りがなくてさばさばしたもんだ。うちの奥さんとは大違いだよ」
 つぶやくなり遅れて信一も帰ることにした。毎度、定時の御帰還である。
「おれも新人類の若い子でも囲いたいよ。流行の援助交際もいいかもな。万年係長じゃ、それも高嶺の華だー 一億円落ちてないかなー」
 信一はできもしないことを口走ってから苦笑いした。実際マスコミが取り上げている援助交際も新人類がしているか、疑わしい。世の中そんなに狂ってはいない、真面目が一番、と自分自身に言い聞かせる。
 信一は自宅の玄関に入り、「ただいまー」とは言ったものの真っ暗だった。妻の純子は去年、課長に昇格してから、信一より帰りはいつも遅い。
「また、来年、頑張ってね…あなたなら、で・き・る・わ・よ」
 純子はそう言って、頬にキスをした。その唇の感触を思い出し、信一は鼻の下を延ばした。
 昨日、信一の会社で、課長の昇格発表があった。信一は今回も見送られ、意に反し1年後輩の林が昇格したのだ。昇格できなかったことよりその方が信一にはショックだった。
「何であの林が……」
 信一は持っていたカバンを床にたたきつけようとして思いとどまった。
「彼女、きょうも残業か…… がんばるなー」
 信一は独り言をつぶやくとまた気分を紛らわすために外へ出た。
 年末のボーナス商戦で、賑々しく光る街のネオンが信一の心に冷たく写った。そして、いつの間にかぶらついているうちに、この電気店の電話機売り場に立っていたのだ。

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